試供品Statement

 『試供品』をご覧頂いた方、観なかったけど読んで下さる方、どうもありがとうございます。Statementは、演出上、公演前ではなく公演後に発表することを2月5日現在、決定しました。


この作品のコンセプトは「無意味なことを肯定する」です。これは私の言葉ではありません。白井にインタビューしていた時、ダンスの価値について白井が述べた言葉です。ここでは肯定を、「美」「快」「笑い」などの価値観を脇に置いて、「これはこのままで(このままの方が)よい、と判断すること」と定義しました。
それは非常に繊細な作業だと実感し、自分の言葉では「それ」を乱暴にくくってしまい、握り潰してしまうと思い、公演後にコンセプトを公開しようと決めた次第です。と、同時に、その線の細い作品が、ポストトゥルースに象徴される時代にどんな価値が発揮出来るのか、ということと、その脆さ、不便さ、鷹揚さを隠さないことを視野に入れて創作しました。
昨年8月のscscs『どらみんぐremix』において「役立たず」などの直接的な言葉を多用したことも踏まえ、「抽象表現;直接的な言葉を用いずに、いま、何ができるのか?(そしてそれはどうやったら届くのか)」が喫緊の課題だったのは自分だけではないと思います。
開場時の客席(追記:お客さんに会場内のどこでも自由に座ってもらうという演出がありましたが、混雑が予想された為、中止しました)や上演中に関しての指示は、来場者にこの「小さなもの」へ近寄って来て貰う為のステップとして設定しました。


「無意味なことを肯定する」へのアプローチは統一せず、白井と佐々木、各々のやり方を交換していくことで、作品に立体感と奥行きが出ると考えました。
各々のコンパスは、白井は自分の身体を用いて「実感」を基盤に創った振付を淡々と遂行する、佐々木は自意識の及ばない状態や状況をデザインし時間と空間を構成する、というものでした。その意味で、白井の身体は、佐々木のデザインの一環でもあり、同時にそこからはみ出すもの、というダイナミズムを設計しました。また、佐々木のハミングで歌われた”What a wonderful world”をご記憶の方も多いかと思いますが、そのようなダイナミズムの設計や、既存のメロディの借用などの「具体的」アプローチは、自分たちが目的を達成する為のハードル、パフォーマンスによって超えなければならないラインとして敢えて設定しました。


さて、「無意味なことを肯定する」というコンセプトの根拠を、先に述べたような時代背景にも求められますし、佐々木と白井に共通する「ひきこもり」という虚無的な個人史にも求められると思います。或は、1980年代生まれの日本文化圏、「芸術志向」からの逃避、バイト先での人間関係に対する素朴な実感などにも求められます。そこは濁しておこうと思います。私は共感を求めているわけではないからです。
しかし、抽象/具体を問わず「表現」が、戦闘的にならざるを得ない時代であると実感しております。「表現」は、寛容や不寛容などとは別のフェイズの立ち位置を明確にしなければなりません。それには、個々の理想や思考を振返る契機としての役割を強める必要があると思います。『試供品』が、そのようなサンプルとして機能することを祈っています。



佐々木すーじん